チカラ

もうすぐ2010年代が終わろうとしています。この10年は私が独立してからの10年であり、様々なことが起こった10年だったと思います。それでもなおこうやって自分の仕事があるということにとても感謝しています。

最近のことですが次の10年(2020~2029)年はいったいどんな時代になるのだろうと思い耽っています。2000年代は暮らしの基盤がそれ以前の物でしたが、その上にITという要素が注ぎこまれた時代だったと思います。情報端末はガラケーからスマートフォンへ移行し、Facebookやtwitterというインターネット上に自由に発言する場が生まれ始めました。

2010年代はその注ぎこまれたITという要素が沈殿し、このテクノロジーを無視して暮らすのはなかなか難しい時代になったように思います。こうしてブログを書いてそれを見る人がいてコミュニケーションがはじまることもまた沈殿して基盤となったITが持つ特性なのだと思います。

2010年代はどうだったかに戻りますが、2011年に大きな震災があり、豊かさとは何かを国のレベルで考え直す10年だったと思います。その時にSNSは大きなチカラを発揮し、知の積み重ねとして二次災害を防いだり、さらには防災というコンテンツの中にさらに知を積み重ねたりしてきたように思います。その反面SNSの特性として「正しいかどうかの見極め」や「フィルタリング」といった行為もありつつも、少しでも何かよくないことがあると、ネット上での過剰な攻撃が待っている怖い一面もあります。自分は1980年生まれで学生の頃はまだそういうものは無かった頃を知っている為に、極めてそれらはデリケートに感じ、時にはSNSというもう一つの世界から逃げたくなるときもあります。沈殿された物を取り除くのは難しいかも知れませんが、あまりにそこに良くないチカラが行使されはじめた場合は、そうせざるを得ないようにも感じています。

2010年代の後半にはAI(人口知能)や、デザインの世界ではジェネレーティブデザインという単語が出てきました。こういうことが暮らしの基盤を作るかはわかりませんが、少なくとも次の10年はこのあたりの要素との協業が生まれることは火を見るより明らかです。それは2000年代にSNSが生まれて2010年代のデザインはSNS抜きに語れないからです。同じ事象がここに存在する場合、製品設計に特化したジェネレーティブアルゴリズムが開発され、少量生産でありつつもそれぞれの人にアジャストした製品開発が中心となり、豊かさの次元としては一つ上の段階に進めるのかも知れません。

また理論的、数学的に導かれる回答はAIとの協業により成されると思います。敬意をこめてAIのことを彼らと呼びますが、彼らは昨日生まれた新しいトレンドや思想から誰も知らない古代思想までを平坦に管理し、同じ速度で提供してくれます。つまり「覚えるだけの知識」を人間が持ったところであまり意味は無く、むしろこれらをきちんと活用した方が、世の中を正しい方向に向けることができるかも知れません。彼らは知の塊であり、そして正しく使えばよき友人になりえるような気もしています。この要素が次の10年の暮らしに注ぎこまれると思います。

またもう一つ思う要素は素材力です。国連が定めた2030年までに達成するべきゴールSDGsに対してデザイナーができることはかなりありますが、その一番大きなウェイトを占めるのが素材力だと思います。マテリアルデザインと形容しても良いですが近年言われているサスティナブルな環境改善に一番クリティカルに届くのは素材やその素材を作り出す工程の中にあるエネルギーの使い方なのです。僕はEXPERIMENTAL CREATIONや今参加しているMATERIAL IN TIMEという枠組みの中でそれらを検討するにあたり、今の社会の中で環境に悪い影響を与えている素材にこれらが取って代わる時代が来ると感じています。そのチカラを持っている人が次のデザイナーなのではないかと思いますし、実際にそういうフィールドのスターが生まれる兆しも見えてきています。

AI、ジェネレーティブ、マテリアル。それらが沈殿する10年になると思いますがここで重要なのは、それらが正しく人のために使われることです。噛み砕いて言うと、暮らしを良くし、人にいいエフェクトを与えなければ意味はありません。またもう一つ付け加えるならば、これまで考えられていたデザインという要素はかならず残るということです。美しいカタチや使いやすさの追求はこれからは「当たり前にできていること」になり、その基礎要素の上に新しい要素が沈殿されていきます。

作ったものを写真に収めてappやアルゴリズムにかけたとき、それらの素材が判別され、生産方法が推測され、使われたエネルギーや資源が瞬時に計算され、ある指標よりも上回ったものがデザインとして認められ、その指標を下回るものは評価すらされないという時代が来るかもしれません。まだ想像の域を超えませんが、エネルギーというのは数値化している物なので○か×かを考えるのはとてもたやすく、それらを正しく公正に計算するプラットフォームは整備されてきていると考えられます。

大量生産から中量少量生産(もしくはテーラーメイド)へ移行し、人に心から合わせられるものが生み出される時代になると思います。その時に全て機械で作る物から、機械を使って人がものを作るというレベルに移行したり、また職人が一つ一つ手で作るという世界にも改めて光が当たると思います。また全て機械で生産される物に対して、本来の価値を見つめ直してこれまでと違う質をカタチにすることもデザイナーの役割であり、それらの価値が最大限に引き出される10年がもうすぐ来ると僕は思います。

人を良くしたり、暮らしが豊かになったり、社会が正しい方向に向く行為を実行するために必要なものを「チカラ」と表現するならば、形が違うだけのものにもはやその「チカラ」は残っていないように感じます。本当に何が人々の暮らしの役に立つか、テクノロジーやマテリアルのチカラも借りて知恵を発揮し、人だけじゃない多くの問題をクリアする「チカラ」を次の10年はきっと求めています。

もやもやしていたことに対して今朝ふと結論づいたことは、こんなことだったというお話です。

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