圧倒的に端的であること。

秋田先生がブログで私のウェブサイトについて書いて下さいました。ありがとうございます。
この新しいブログで以前のブログから少しづつ転載していかなければと思いましたが、やはりこれを最初に転載すべきと思いました。原文のまま、リンクだけを貼りなおして掲載します。少し長いですが私と秋田先生の最初の出会いとなったブログです。読んでいただけると幸いです。
以下本文(2010年4月22日のブログより)———————————————————————————-
先日4/18(日)に大阪は淀屋橋の芝川ビルの4Fにて行われた秋田道夫さんのセミナー「やさしいデザインの話3」に参加してきました。
秋田道夫さんは大阪出身のプロダクトデザイナーで、近年のワークとしてはtrystrams燕三条のtsutsuなどがあります。
今回キュレータをして頂いたLIVES代表の梅さん友人でインテリアデザイナーの大工さんに誘われて三回目にして初めて参加できました。本当に肩の力の抜けた気さくな方で初対面の僕にも冗談を交えながら名刺交換して頂きました。
会場は50名ほど入る部屋で、外はテラスがあります。秋田さんは本番前にテラスの柵の所で一人で準備運動されていました(笑)全てを書くと膨大になりますので、大筋のところだけを書きます。基本的には秋田さんの講演に対する僕のコメントを書いたレポートです。
信号機のデザインにまつわる話

秋田さんは以前から信号機のデザインをされており、そのワークを通じて今回のトークショーのテーマでもある「やさしいとは何か?」を表現されて行きました。まず、段ボールのデザインについてのお話でしたが信号機を入れる段ボールのデザインにとって何がやさしいのか?という問いに対しご自身が出された答えは「中に何が入っているかわかりやすい」という事でした。
すなわち三面図(正面・側面・上面)などが箱に描かれており、箱の中に何がどのように入っているかがわかるパッケージでした。そして色は段ボールの色に対してコントラストが出るように濃いブルーを用い、視認性を高めています。そういった説明の中で僕が感じたのは、「パッケージ」というのは「物」と「人」が結びつくポイントで、秋田さんのパッケージデザインにおける視点は、秋田さんや作り手が居ない状況でも手渡しで親切に説明しながら渡しているような「やさしさ」だと思いました。そこには作り手と買い手が対面の状態で存在し、物を使ってコミュニケーションしているような素敵なデザインだと思いました。
「やさしいとは相手にわかりやすいこと」それはコミュニケーションする事で初めてやさしいという事が伝わっていると思います。
「いいデザインとは、部品を減らす事も大切ですが見落としがちなのは生産すると不良が起こる事。不良率を下げるのもいいデザインの資質」といった内容があり、無理の無いカタチを作り出す事が大切とのお話がありました。信号機にとっていいデザインはかっこよさではなく、頑丈さだというところにポイントを置き、隠せないヒンジ(蝶番の役割をしている何かを回転させるための軸)があるならしっかり存在させるべきだという考え方をお話されていました。
確かに近年の携帯電話は高スペック化が進み、クラムシェル型(折りたたみ型)が出てきた時に、携帯電話のデザイナーはヒンジの構造についての課題を課せられました。私も以前携帯電話のデザインをした事があり色んな携帯電話のヒンジ部分を見ましたがどれも「未完」という言葉が当てはまるくらい処理の難しい部位です。現存する携帯電話はその課題をクリアできている物をほとんど見たことがありません。そのくらい難しいの事だと思います。
個人的な感想ですが、お話を聞いていて、秋田さんの着目点は意味や整理する事など、堅実でまっすぐなポイントをまず押さえるデザインだと感じました。それがカタチに現れるからこそ、長く使えるあるいは長く使う事でも飽きの来ないロングライフデザインになるんだと思いました。
device STYLE ワインセラー
この商品のコンセプトを聞いたとき、かなり驚きましたが個人的に思っていた事は『ワイン=日常的なお酒』だという事です。しかしこの商品は子どもが生まれたときに入れて20年熟成させ、成人した時にそのワインをプレゼントするというストーリーを聞いて素敵だと思いました。
少なくとも20年使う物という前提でデザインされているので、20年飽きの来ないようにデザインされており、霜(水)がテーブルに垂れないようにする為の横溝も話を聞くだけでもちろん納得できるし、実際使った時にその配慮を感じれば秋田さんのデザインは「やさしい」という事が伝わるんだと思います。
「溝一つとっても意味を持ち、使い分ける。」 …言葉で言えば当然の事のように簡単ですが、それを具現化し相手に納得させるには蓄積された経験や感覚が必要なんだと感じました。
「センスとは何を犠牲にするかを考える能力」 …今回のセミナーが行われるきっかけでもあった、「機能を減らすには哲学がいる」の部分に触れた言葉だと思いますが、全ての欲や要望に答えきれるプロジェクトは少ない前提で、何かを犠牲にし形にする事で最後の方の言葉で出てきた「Better」という所にもつながってきます。
こうやって秋田さんのおっしゃられた言葉を自分なりに整理していくと、いかに自分が力んで力んでデザインしていたかという事がわかりました(笑)。おそらく力を抜くにも経験が必要という事ですね。精進します。
trystrams PRIMINE(ボールペン)
「クリップのないペン」 …確かにクリップは胸ポケットにさしたり紙に挟まないようにする為にある物だと思いますが、普段はあまり使っていません。ペンケースで持ち歩く人には結構なロススペースだと思います。でも何故か必ずと言っていいほどついている。
秋田さんがtrystramsでデザインされたペンはクリップが無い、重厚で重たいペンです。
どんな物にもターゲットやシーンはあります。クリップがついているペンは作業着にさせば作業の効率化を図れたり、軽いペンは長文を書いたり、早くメモを取るのに適しています。その両方が真逆に位置する秋田さんのペンは、「サミットでサインするのに使ってもらい、それを持って帰ってもらう」というシーンがありました。それはもしかすると非日常的なシーンかも知れませんが、重くてしっかりしていると手は文字を雑に書こうとしません。その指先から伝わる重さや上質な質感、書き心地が自然とゆっくりとしたライティングを促すのだと思いました。
見ているとそういった「大切な文章を書く為のペン」のような気がしてなりません。だからこそ無駄の無いフォルムこそ、それにぴったりはまるのだと思いました。引き算のデザインという言葉がありますが、何かを削るのは哲学が要ります。それはその「削る人」がそれまでの人生でどう生きてきたかによって変わってくるという事でした。
そしてそのペンは実に無駄の無いデザインをしていました。
ロングライフについて
この事については自分自身は「言葉で言うのは簡単だが、実現は困難を極める事」だと思っています。秋田さんの答えとして、「そのものから少しづつ湧き出る物。それを使う人がすするような事」とおっしゃられました。常に完成された状態を売るのではなく、買った人がそれを使う事でよいことがある。要するに物ではなく、人を躾けるデザイン。それこそが物を長く使う秘訣で、物を愛でるという事につながっていく。
そういう次元で作られた物は現代にどれだけあるでしょうか?
僕は家で柳宗理氏の木柄のカトラリーを使っています。ちゃんとスプーンとフォークとナイフをワンセットで買いましたが、スプーンは使用頻度が高いせいか、ステンレス部分はそのままに、柄がなんともいい味を出してきています。あまり使わないナイフはまだ買った頃の黒くて艶っぽい質感が残っています。これと秋田さんのおっしゃられている事は直接つながってこないと思いますが、物は買った時から変化するものだと思い、それがいいようになるかどうかもデザインの範疇なのかとそのスプーンを見るたび思うわけです。
そして機能的にも使えば使うほどいい物。それがロングライフなのだと思いました。成長するという表現より、馴染むといったところでしょうか。祖父母の家にはそういった物がたくさんあります。そしてそれらは使い古されていますがとても美しく感じるわけです。
センス=生きる術
程いいものを持って暮らす。自分の身丈に合う物を選ぶ。それはセンスだという事。自分の持ち物が壊れても平気でいられるのが経済力というお話でした。
こないだの柴田文江さんのトークショーのブログで僕が書いた「消費活動として不健全」という事にもつながってきますが、物を大事にする気持ちは大切ですが過保護になりすぎると物の本当の価値が見えてこないのではないかと思いました。それなりに傷がつくという事は自分の生活にその製品がある事を意味していると思いますし、気持ち的にはそれが壊れる事で「お気に入りが壊れた」という方向で悲しんで欲しい。「高かったのに」という気持ちはそれを無理に買いすぎている事なのだと思います。
そして秋田さんがおっしゃられた「誰かを守る為にその物が壊れる」。こんなことを言うとどうかしてるかと思われるかも知れませんがそれは非常に美しい情景だと思いました。人間は古来より道具を使う事で知恵を育んできたのだと思います。狩猟するための道具。崇拝するための道具。安らかに眠るための道具。本来道具はその目的を果たしたときにこそ一番美しい姿をするんじゃないかと思います。
生きていく上で物は壊れて汚れていきますが、それでもなお自分の生活に馴染んで居心地のいい物が本当にいい物だと思います。そういった物だけを持って暮らすのはセンスがいる事でしょうね。こうやって書くのは簡単ですがこれもまた実践が難しい事柄だと思います。
デザイナーとして生きること
この話の中で面白い表現だと思ったのは、「BOOK OFFが自分の本棚だと思えば自分の書庫にある本はほとんど処分できる」という事。必要な時にだけ買えばいいという考え方。僕は洋書を多少持っています。英語やイタリア語が読めもしないのにその絵を見るのが好きで持っています。きっと本の内容は全て理解できていないものばかりだと思います。
そういった本は印刷物として残しておきたいですが、それ以外の本については、つい買ってしまいますが、秋田さんのおっしゃられたとおり買うことで半分満足しています。そして全部読みきらないうちに本棚に並べ、二度目に読む事はほぼありません。ものが多いとストレスを感じるという感覚は、柴田文江さんの「身軽は幸せ」という言葉にも近いと思います。物がないという事はなんとも気持ちいい事。非常にわかるお話ですが、今の僕はそういう感覚を忘れてしまうくらい色々と処分しなければならないものがあります。
質素という言葉をネガティブに感じる人は多いようですが、日本人の生き方はそもそも質素でつつましく生きる事だったと思います。それが難しいくらい、社会も複雑で物が溢れている社会に生きているのだと思います。そういう時代だからこそ、秋田さんの手がけられた仕事は言葉以上に何かメッセージを感じます。
圧倒的に端的である事
仕事は早いとおっしゃられていた秋田さん。その秘訣はこの言葉にありました。「圧倒的に端的である事」
心がけられている事は、「あきれるくらい単純な形をしている物」「デザインはデザイナーが個性でやらない物」
シンプルという言葉を超越した、ミニマルという言葉とは違う、無駄が無いのに、何もしてないように見えるのに欲しいもの。確かに秋田さんのデザインにはそういう力を感じます。思い切りの良さなのでしょうか?このあたりの質問をもう少しすればよかったですね(笑)。この内容もまだまだ自分にはできない部分なのかなと思います。
「客観的に何でも無いものが人を幸せにできるならそれが良いこと」
一見個性的でない物の中に、何かの配慮がある事。大切なのはそのバランスなのかなと思ったのですが、仰々しいものはわざとらしい。自然体の中にあるちょっとした変化。そういうバランス。ハイアールの冷蔵庫がそういった事のいいワークだとおっしゃられました。アイデアとバランス。そしてデザイン。改めて自分の今までのワークを見直さないといけないくらい重い言葉でした。
tsutsu
「ありそうでなかった物。という意見が多い」との事でしたが、その理由を何となく考えていましたが、基本の構成は今までのモノと同じ。だいたいと使い方は今までさほど変わらない条件の中で、ピンポイントでアイデアを織り交ぜているからなのかと思いました。
水筒は立てて置くか、鞄の中に入れておくか、ぶら下げる物です(たぶん)。tsutsuはその中でも立てている時にこそその姿の意味性があるんじゃないかと思いました。上面の角が丸くないデザインは非常に建築的なデザインのように感じ、置いていてストレスを感じないデザインだと思います。空間を構成するディテール以外の要素が無いからだと思います。
お弁当を持参する男性が増えている中、これまでの水筒のイメージといえばどこか子どもっぽかったりするイメージでしたが、tsutsuはそんな男性が好む商品なんじゃないかと思うわけです。会社のデスクに置きたくなる水筒は過去を見てもtsutsuしかない。そんなところが「ありそうでなかった物」なのだと思いました。
大文字のデザイン
今回のお話の中で一番内容をまとめるのが難しかったのがこの項目です。圧倒的に端的である事につながってくる内容だと思います。
大文字というのは骨格がしっかりしていて、違和感の無いデザインだと思います。大文字のデザインとは、新しくも奇をてらわないスタンダードなデザインだと思います。それでいてアイコニックなデザインが大文字のデザインなのかなと思います。「いい風に形になりたいと思う所の形を作る」デザイナーの個性でやらないというお話でしたが、秋田さんはご自身をフィルターだとおっしゃられていました。
秋田道夫さんというフィルターを通るとクライアントが思ういいものができる。という事です。それは自分には全く無かった感覚でした。そしてそういう秋田さんのデザインのスタンスも初めて知りました。ですがこの内容はこれから自分の自分の仕事に活きて来そうな内容でした。空中にある何かが誰かによって凝固されカタチになる。元気玉という例えがありましたが(笑)。その感覚も自分にはありませんでした。
そしてこのお言葉「デザインはあるべき物。する事ではない」
クライアントとのお付き合いの仲で、交されるコミュニケーションの中で、あたかもごく自然に当たり前のように実はあったものをカタチにする。そういう風にも思えます。溶けない氷の製氷機という例えもありました。まるで手ひねりのようなデザインの感覚だと思いました。ちょっと手を加えると自然とできるカタチはそれが本来そうなるべき姿だったという感じでしょうか。僕はライターでは無いのでこれ以上の言葉の表現はできません(苦笑)。すみません。
無駄をしない、無理をしない。
ここまでの話を聞いて、本当に手数を減らしている方だなぁと思いました。「できるだけ賢い手を打ちたい」という気持ちが最小の力で適切な効果を生んでいる「数少なく、動き少なく。」そういったところにも哲学がありました。それをいい人間関係でやる。信頼されている状態で普段言わないような事を言うと説得力がある。というスタンスも今までの自分にはありませんでしたが納得できる物でした。
最後に秋田さん自身がご自身を客観的に表現された言葉があります。
「物事はじっくり考えて、話すのは軽く振舞う。そういう事が素敵だと思う。」
実際お話するとそれがよくわかりました。秋田さんの言葉や冗談やそれを話される表情に、その奥の深さを感じてなりません。さて、ブログは非常に長くなってしまいました。今回コーディネートしてくださった梅さん、ありがとうございました。
最後に秋田道夫先生、非常にためになるお話本当にありがとうございました。
「やさしいデザインのはなし3」ですが「やさしい人生論」にタイトルを変えたいくらい心に染みました。