愚直に進めばiFデザイン賞に届いた。

この度ふたつのプロジェクトにおいて、ドイツのデザイン賞「iF DESIGN 賞」を受賞しました。
プロダクトデザインをしている方はだいたいの方がわかると思いますが、それ以外の方に少し説明すると、年に一度世界中の工業製品の中から優れたデザインを選定する賞であり、世界三大デザイン賞「IDEA賞(アメリカ)、red dot design賞(ドイツ)とiF DESIGN賞」の一つとされています。日本で近しい取り組みはみなさんもご存じのグッドデザイン賞になります。ちなみにiF DESIGN賞は1953年、グッドデザイン賞は1956年にスタートしました。iFは(Industry Forum)の略で訳すと工業の討論会という意味になります。
今回の受賞に関して今の気持ちを少しここに記しておこうと思います。
2003年にデザイン事務所に丁稚していました。やっていたことと言えば先輩のデザインの色塗りやコピー取りや、徹夜の印刷などをしていて、週に1、2回は徹夜をするという厳しい事務所に居ました。まさしく居たという表現が正しく、基本的に毎日終電か徹夜、当時は窓のない事務所で日に当たることは朝出勤する時だけで家に着く頃には午前様になっていました。
まさしくそこに居たわけです。
そんな丁稚でしたが良かった点といえば未熟な人にもチャンスが開かれていたことでした。PanasonicやSHARPなどの大手家電メーカーのデザイン依頼が舞い込む事務所なので、自分のような丁稚にもスケッチを描かせてくれましたが、経験値(知識とスキル)不足により社内コンペでは当然負け続けていました。若いデザイナーにはよくある葛藤だと思います。今はこういうデザイン事務所の形態そのものが社会淘汰されてきているので、同じような経験値を積むための手法が今の若い世代にオプションとして取れるかどうかはわかりません。
私は当時インプット不足を感じており、徹夜で作った物を先輩がプレゼンに出向いたあとにまじまじと見てはそこから色々と得ていました。時には3Dのレイヤーをどうしているかとか、形状を作るプロセスを(勝手に)追跡しては自分のメモに描くなどしてスキルをなんとかものにしようとしていましたが、それだけではインプットとしては足りず、そこで手に取ったのがiFやred dotなどのデザイン賞を特集した本です。工業デザイン事務所には多くそれがそろっていると思います。
私は英語やドイツ語が正しく読めるわけではないのでそこに掲載されている画像からとにかく「何かを発見する」ということを日々行っていました。時には自らのワークにそれらを引用することもありました。いわばiFデザインは教科書のようなものだったわけです。
ひとたび本を開くと、家電製品や家具はもちろん、普段見れないような医療現場の製品や工場設備などのヨーロッパの素晴らしいデザインがそこに整然と掲載され、その一つ一つの意図を言葉を介さず取り込むことをデザイン事務所時代にはずっとしていました。今もツールは変われど同じようなインプットは常に行うようにしています。
そうして華やかな世界を言葉を介さず覗き込んでいる時に、いつしかiFデザイン賞を受賞するような仕事に携わってみたいと思うようになりました。こうした暑苦しい思いは、もしかすると今の若い世代からはクールと思われないかも知れないですが、23歳で丁稚に入り暮らしのほとんどの時間をデザインと過ごしてきた自分にとってこれほど色々と教えてくれる本は無かったし、そうした取り組みが若いデザイナーを育てているということも事実としてあるということが何よりその暑苦しい想いを募らせてくれました。自分たちのデザインも未来の誰かの手本になるかも知れません。
iFデザイン賞の受賞は一つの夢であったし、その夢がこうして叶いました。
いくつかの大阪の会社と仕事をしています。大阪に生まれ育ってずっと住んでいる街で、大阪の人から仕事の声をかけてもらえることはとてもうれしいです。DPU Legerの取り組みはそんな大阪の小さな会社との協業ですが、彼らは歯科医療の世界の人たちです。医療業界には大きなブランドがたくさんあり、それらのビッグネームたちは名前だけでも信頼感(ブランド力)がありますが、小さい会社ではそうはいきません。そんな中で今回医療機器の本場ドイツのデザイン賞を受賞できたことは、彼らのような小さな会社のブランドを後押しする物だと私は思います。デザイン賞はそういう力の為に存在すると思います。
担当の方は10代の頃にあるスポーツの特別推薦で海外に渡り、20代前半まで異国の地でそのスポーツを続けた方で、その後は建築を学び、稼業を継ぐために日本に戻るまでその地で建築を続けていた方です。つまり「何かを極める経験」をされていた方です。そうした方には当然美学のようなものがあり、特にこの仕事はその最初の大きな一歩であったため、結果として今回の受賞になったことが大きな意味を持つと思います。ちなみに販売も好調です。
このプロジェクトは(も)一筋縄ではいきませんでした。というのもこういう商品を手掛けた経験がまずないこと。また参考になるものを買って分解して中身を研究してということができません。なぜならこういう商品がほぼ無いからです。
「需要があり、商品が無いもの」は作るしかないのですが、もっと言えば参考が無い場合には暗中模索を繰り返すしかなく、販売に至るまでの試作の量は数え知れず、また愚直に前進しては戻ることを繰り返して問題が徹底的になくなるまで続けたことが、良い結果につながったのではないかと思います。こうした話題も若い人にはクールと思われないかも知れませんが、これ以外の方法を知らないので結局一つずつ形にしては議論し、また作るという方法でしかこうしたイノベーションは実現しないと思うのです。
巷で言われているデザイン思考やフレームワークから導き出せるものは机上から生まれ出るアイデアであり、その手法と私たちが現場でしていることには相違があります。アイデアまでは良くても実際にプロジェクトを遂行するのは信念と愚直な実行力なのではないかと個人的に思います。こうしたことを一緒になってやってくれた担当者にこの受賞を報告すると、彼は海外出張中でしたが非常に喜んでくれました。彼もまたこのプロジェクトに多くの時間を割いてくれました。
また当時このプロジェクトを一緒になってやってくれた旧メンバー(二人とも今はもう退職しそれぞれのフィールドでがんばってるはず)にも連絡し、喜びを分かち合いました。私一人ががんばったところでこうした難しい仕事は実現しないと思います。茫洋としたプロジェクトの霧の中、彼らの膨大なトライアンドエラーによって一つずつ確かめられた形は部品単体でも美しく、また極めて合理的にできており、それらを簡単に事務所内で3Dプリンターによって作り出せるようになった今の時代性も相まってこうした結果になったのではないかと思います。
iFデザイン賞は現地にて審査があります。当然物は現地まで発送でねばならず、この商品は郵送は可能ですが本体が極めて高い商品になります。ただそれをこうした活動の為に審査を承諾するだけでなく、快く高額な商品を貸してくれたクライアントの協力や、弊社の海外コーディネータスタッフがドイツの税関でこの商品が止まっていたときに何度も向こうとやりとりをし、なんとか締切期日に間に合うように努力してくれたことも重要だったと思います。全員で綱渡りの上をバトンリレーをしたのですが、こうした結果になったのでほっとしております。
他にどんなものが受賞しているかしばらく見ていましたが、ここでも中国企業が多く受賞しています。韓国も多いですが日本はさほど多くありません。時代もあるかも知れませんが、資本力がある中国がこうした賞に積極的に参加していることは、マクロでみると将来的にかも知れませんが日本にとっては不利に働くと思います。
そして総じてデザインのレベルは高くなってきています。私自身が中国企業とのデザインプロジェクトが結構多いのでその差は日々実感しています(あえて書きません)。ですが、いずれ中国企業のエントリーで日本人のデザイナーの受賞も増えると思いますし、実際に中国企業はヨーロッパのデザイン事務所を使うこと増えており、私たちは度々バッティングします。そうして研鑽していると言えばクリーンですが、もっと言えば日本のデザイナーは常に海外のデザイナーと比較されているという認識をこうしたプラットフォームで得つづける必要があると思います。
ともあれ、小さな会社と愚直に進んで達成した物が、世界中のプロフェッショナルに審査されて評価されたことはこれまでやってきたことが無駄じゃなかったと感じさせてくれる瞬間でした。若いデザイナーの中でこうした話を聞きたい人が居たら、呑みに誘ってくだされば話せる範囲で話して行きたいと思います。