De Stijl OSAKA.

今更な話題ですが、秋に大阪の京町堀にて「京町堀サローネ」という催し物に参加しました。
京町堀サローネは関西で活動する若手デザイナーの作品を集め展示会を行うという物。メンバーは昨年今年と二年連続でサローネサテリテ出展中の福嶋賢二氏(KENJI FUKUSHIMA DESIGN)、レムノスから時計を発表した小池和也氏(Doog design)自社ブランド「アルルカン」が好評の南大成(ひろなり)氏(Hironari Minami Design)、奈良県庁のプロジェクトをしている橋本崇秀氏(smack design)、サローネサテリテ出展経験があり、MORE THAN PROJECTやCOOL JAPANメンバーなど小林新也氏(シーラカンス食堂)、昨年サローネサテリテに出展し今はCEMENT PRODUCE DESIGNに参加している江里領馬氏、現役専門学生でありながら今年秋にテントロンドンに出展したデザインチームMANGAKAの赤藤(しゃくとう)晃大氏、江川樹氏、土井一夏(かずな)氏と大阪デザイナー専門学校と私でした。
大阪という場所から、何かを活動する時に常につきまとうのは東京までの距離だと私は思っていました。東京にはやはり多くのプロジェクトがあるし、デザインに限らず情報の全ては東京にはある。インプットとアウトプットの量は日本ではここを超える場所はありません。しかしそれがわかっているのになぜ僕らは大阪に居るのでしょうか。一つの結論として大阪に居ても東京のプロジェクトはできるし、海外で勝負する事ができるというのがあります。福嶋さんは墨田区のプロジェクトを行っているし、小池さんは海外ブランドとの協業が始まり、そういう事を書いている私も海外のインテリアブランドや電機メーカーとのプロジェクトを遂行しています(関東のプロジェクトはほとんど無いのが実情です)。あとは住み慣れた街でバイオリズムを安定させて取り組むのがデザインだと私は思います。
インターネットが普及し世界中どこに居てもプロジェクトをする事が可能になり、今では海外とのやりとりの多くはメールとスカイプです。こういったインフラがしっかり整備された事が少数ですが大阪という地方都市でもしっかりとやれている人たちが京町堀サローネに集まっているように思いました。ネットはあったけどインフラが無かった90年代後半から2005年あたりまではやはり東京集中していたのではないかと思ったりしますが、そのあたりは上の世代の方に一度聞いてみたいところです。ただインプットに関してはやはり東京ですね。情報をたくさんつかみたい時は今でも年に数回は東京に行きます。その数回はだいたいギフトショー、インテリアライフスタイル東京、東京デザインウィークですね。それ以外の時期に東京に行く事はあまりありません。他のメンバーもおそらくそうだと思います。
最近は、そんな京町堀メンバーの中でも福嶋さん、小池さん、南さんと四人で月一で呑みに行くなどよく遊んでもらっているのですが、これは同世代で同じエリアに居てフリーランスのプロダクトデザイナーという同じ境遇を抱えた者同士、経験の共有と価値観を高め合える可能性を感じたからそういう事を続けています。福嶋さん、南さんは海外留学経験があり、小池さんは自社ブランドを統括していた経験があり、またそれぞれの出身は喜多先生やメタフィスのムラタチアキさん、ideacoと関西では有数のデザインの現場で下積みをしてきたメンバーという事でそれらのバックボーンも僕らに共通している事かも知れません。
2010年以後はコミュニティの時代といいますが、私は近い人たちはその人同士で生で会話する事に多くの価値があると思っています。スカイプでもいいかも知れませんが、やはり同じ釜の飯を食う時間を共有するというのはお互いをしっかり知る為に肝要な事ではないかと思います。欧州も北米も同様にデザイナー同士のコミュニケーションは食事の中で生まれるという事を体験した方から聞いたことがありますし、非常に共感できます。そういう中で私自身はさらにそこを深めたいという想いがあります。
かつてオランダにDe Stijl(デ・ステイル)というデザインムーブメントがありました。これは雑誌を基本としていますが、その主要メンバーとして挙げられるのはテオ・ファン・ドースブルフとピエト・モンドリアンです。彼らには徹底した構成主義があり、それぞれがConstruction(構成美)という絵画作品を残しています。モンドリアンの作品は有名ですが、モンドリアンは絵画としてその構成主義を解釈していましたが、ドースブルフは建築的アプローチからの解釈であり、水平垂直を基調とした所に斜めのラインを構成し始めた事でモンドリアンがデ・ステイルから抜けるといった相当に崇高なデザインムーブメントであったと思います。とまぁこういうレベルでしかデ・ステイルの事を知らない私が言うのも恐縮ですが、こういった純粋で崇高な地域的デザインコミュニティが多くの物(後のバウハウスなど)に影響を与えて行ったように思うわけです。今でもオランダはフィリップスの工場跡がたくさんあるアイントホーフェンを軸に多くの実験的クリエータが集まる場所として有名です。アイントホーフェンは地方都市でありながらそういった地場の活用とブランド意識を持つことで成功した街だと思います。
34歳になり(勝手に)若手という肩書を捨てた私が今デザインに必要だと思う事は、情報過多な暮らしをしている一般生活者に対してデザインの良さを理解してもらう為のプレゼンテーションだと思います。そのプレゼンテーションにもっとも適しているのは文化活動(カルチャー)だと思います。デ・ステイルのような造形主義までそろえる必要は無いにしても、自分たちと同じエリアで活動している人がどういった思想を持っていて、どういった方向へ向かおうとしているのか。それをきちんと知る所からはじめないと文化活動はできないのではないかと思います。また世界のメインストリームに対するカウンターカルチャーも当然常に世界中で生まれているわけですし、またお互いに気づく事も多くありますし、やはり近い存在の人ががんばっているというのは無償のモチベーションだと思います。昭和の文化住宅とはそういうコミュニティの場だったのかなとか今書きながら思いました。僕らで言うならば意匠荘ですね。横文字で言うならDe Stijl OSAKAでしょうか。
小粒でもピリリと辛い四人が今の私たちの状況かも知れませんね。でも少しづつスパイシーで本質的な方向に進んでいく街にしたいですね。イベント初日の夜は山椒四兄弟に橋本さんを加えてTURNING POINTという名目のトークショーをしましたがもっともスパイシーだったのが橋本さんだったというオチ。