商品企画やデザインは世を移す鏡。

明日から始まる感染症対策のプロダクトデザイン(物のデザイン)の展示会「NEW NORMAL, NEW STANDARD」ですが、新しい取り組みなので東京では新聞が、大阪ではテレビが取材に来てくださり、やはり注目されているようです。
↓展示会の情報
http://kairi-eguchi.com/info/2403.html
良いプロダクトデザインや商品企画と言うものは、世の中が辛い時に生み出されます。その根底には、困っていることがあるからです。
2000年代後半から、日本各地で伝統工芸とデザインという取り組みがたくさん見られるようになりました。裏返せば、1970年代以後に急速に日本のライフスタイルが変化し、カルチャーもアメリカ化が進み、伝統工芸と言うものが消費が進まなくなり、担い手も減り、事業承継の問題まで来たのが2000年以降です。
そうした時に良い商品企画者はそのカウンターカルチャーとして伝統工芸にスポットを当てました。伝統工芸そのものにはすでに古めかしいと言うネガティブなイメージが一般層にあったため、その技術力(職人の技)を使って現代のライフスタイルやカルチャーに合う、企画やデザインが誕生しました。今ではどうでしょう?デザインと伝統工芸と言うのは、都会のアーリーアダプター層を中心として受け入れられ、また海外からもそうしたデザインの素晴らしさを受け入れられることも増えたように思います。元々の伝統工芸の良さにまで言及できるようになったのは、良い企画とデザインだったとも言えますが、そのきっかけになったのは「困りごと」だったのです。
2011年の東日本大震災以後、傷ついた東北を支援するためのさまざまな取り組みが日本各地で起きました。デザインで言えば、石巻工房、OCICA、など復興を旗印に商品企画者やデザイナーがそこに焦点を当て、新しい価値を生み出して来ました。もちろん震災が無かった方が良かったのは当然なのですが、それが起きてしまった時にこうして何か力になりたいと考える企画者やデザイナーも実はたくさんいるのです。
では今回のコロナウィルスの問題ですが、この課題の大変さはどこにあるかと言うと、世界中が困っている状態というところです。上記の例は困っている人と支援する人に分かれていましたが、今回は度合いは違えどみんなが「困っている」状態なのです。ここでとても重要なことは、支援する人と困っている人が同じと言うことなので、つまり「助け合う」構造になります。
経済的にほとんどの業態で影響を受けている中で助け合い、少しでも感染者を減らしたり、感染予防対策をポジティブにすることで「明るい気持ちで」これに取り組めば状況は少しずつ好転します。マスクしなくても感染しないケータイ型の空気バリアとか、食事を近距離でしても空気は分断されてる気流のシステムなど、次やさらにその次のステップもアイデアとしてはもう出ているでしょう。
こうしたことを考える人たちも、少なからず今回は被災しており、もしかすると知人が犠牲になったりしているかも知れない。だからこそ自分ができることをやりたい。きっとそんな思いから、素晴らしい企画やデザインは生み出されるのでは無いかと思います。
戦後の日本は、のちにソニー、パナソニック、ホンダ、東芝などの日本を代表するメーカーとなる下町の工場が始まり、戦後の傷ついた人たちを素晴らしい企画とデザインで助けながら成長してきました。彼らの創業の言葉にはどこにも「経済性」は書かれておらず、「人のために」することで結果としてお金は後からついて来た格好になります。こうした例を見ると良い企画は経済とは最初は絡まない方がいいのですが、近年は企画の段階で売れるかどうかを求められてくることが多く、そうした場合に良いアイデアだが売れなさそうという経済的視点により企画やデザインが世に出なかった物もたくさんあります。これは何を言っているかというと、消費行動をする生活者が、スペックと値段で物を買うかどうかを判断していることに他なりません。そして売り場はそうした生活者に媚びるようにそれらを前面に出し、作り手の思いやデザインを生活者に伝えることを怠ってきている。だから良い企画やアイデア、デザインも経済性が伴わなければ世に出せないという負の連鎖が存在します。これは戦後に豊かになりすぎたのも一因だと思いますし、思考がアメリカナイズドされすぎた日本人の結果だと考えます。本来物は役に立つことが前提であり、役に立つ=お困りごとがあった。が基本ですが、困ってないけど何か新しいものが欲しいという消費欲求を満たすためのマスマーケティングが繰り返し繰り返し行われてきて、お腹いっぱいなのにどんどん出てくるコース料理の状態になり、ある線を超えた時に断捨離やこんまりという行動が反発的に起こる。そこでミニマリスト(物をできる限り持たない人)とい
うまた別の文化が生まれ、総体としてのサスティナブル(持続可能)な文化はどんどん無くなってしまう。今はこの悪循環の時期だと思います。
話を戻すと、今回の企画はまさに現代の「困りごと」なのです。みんなが今必要としてきていることに焦点を当て、1年前はまだ世界中がこんなことを思ってもないことに、本人たちも被災しながらも「力になりたい」という想いで、企画者とデザイナーが集まって興したことなのです。一部のメディアの方がここに光を当ててくれることは本当にありがたく、ジャーナリズムとはこういうことなんだろうなと思いました。
僕はいろんな人に言われますが、ビジネスは下手です笑。お金の話もお金の話ばかりする人も苦手です。理屈がよくわからないからです。一般的なデザイナーのイメージって派手な暮らしを想像されるかも知れませんが、ふつうの賃貸住宅に暮らしてますし、車も持ってません。他の友人デザイナーたちの多くも同じような暮らしぶりなので、これがリアルなデザイナー像なのかも知れませんね。
一方でこうした世の「困りごと」を解決するのは得意です。困ってることがあれば一緒に取り組みたいです。食べる物を手に入れるのにお金は必要な社会なので、お金は得なければなりませんが、できることならこうした困ってる人を助けながら食べる物を得て生きていきたいなと常々思っています。
戦後の日本のように、マイナスから立ち上がろうとする人と一緒に自分の力を使いたいなと思います。生まれてくる時代を間違ったとは言わないですが、今の社会の困ってることを整理して簡単にして解決して生きていけたら幸せだなぁと思います。時代の変化の度に新しい価値を生み出して良い方向に導きたい。そんな気持ちで取り組んでいるデザイナーたちの今回の展示、ぜひ見てほしいです。
商品企画やデザインは世を移す鏡です。周りを見回したとき、似たようなもので溢れた世界は、トレンドが牽引する画一的で退屈な世界を証明しています。いろんな物が存在することは、トレンドから切り離された世の中の自由かつ、多様性に富んでいる社会を表現しています。前者の本質は効率です。後者の本質は豊かさです。これらは決して混じることのない2つの本質なのだと思います。
今回の展示にある物たちは、どれも視点が違い、様々な想いをそこから受け取ることができると思います。これからの社会にそうした価値の多様性や豊かさがあって欲しいなと願います。