14/10/01
14/10/01
TENT LONDONというところ②
9/16(火) 搬入1日目
AM6:00。窓を少し開けて寝ると明け方は寒かった。僕は居候の身でしたので寝袋持参。八泊寝袋で寝る気があったので案外僕もまだまだ若いのかも知れない。同部屋の男性メンバー赤藤(しゃくとう/Shawn)と畑(Roger)はまだ寝てる。予想通り早めの起床によりおもむろにキッチンへ。
僕らが泊まっている地上二階、地下一回の三階建てのアパートのオーナーはMick。玄関のアプローチの先には[Mick’s Mansion]との立札が。欧米ではこういった普段使っているセカンドハウスなどをあるシーズンだけ客に貸し出している事がある。AIRBNBで今回手配したこうした家は設備と値段のバランス的にかなり良かった。これも出発数か月前にしっかり手配すれば安くて住みやすいところと契約できる。二階にバルコニー、地下一階にパティオ。素敵だけど変わった建築だと思う。
さてさっそく食事を…と思ったが、IHクッキングコンロの使い方がさっそくわからない。英語だったのでもちろんだがIHその物をちゃんと使った事が無い自分には特にそのインターフェースは解らない事だらけでご自慢の直感で動かしてみる。あれこれしているうちに赤いランプが灯った。ガスと違い点火がわかりにくいけどどうにか着いたっぽい。たぶん…。
あれこれしているうちに数人のメンバーが起きてくる。とりあえず手伝ってもらう。朝のメニューはじゃがいもを焼いたもの、スピナッチとフルーツトマトと生ハムのサラダ、チーズ、ウィンナー、スクランブルエッグ、バナナ、バゲットにスープ。初日だから気合を入れすぎたかも知れない。この旅の食事は当番制だったはずだがなぜかまだ当番が確定していない。そしてなぜか僕が作るという。そんな事を少し考えつつコンロで色々やっていると謎の表示が。
[H]
んー、なんだろうと悩んでいると聞きなれない日本語が聞こえる。振り返るとそこにENYAの友人のMY(ミー)が居た。MYには実はあらかじめ脚立を借りる事にしていてわざわざバスに乗ってアパートまで運んでくれた。ありがたい。展示会のブースの壁面はおよそ2.5mほどある。照明はその上についている事がほとんどだし、ブースの施工で梁を注文した人は脚立がなければ当然なにもできない。ただ日本から脚立を持っていくのはもちろん骨が折れる。作品だけで手いっぱいなのである。その必需品を当初は買って持っていこうという話になったがお金を節約する意味でも誰かに借りようと言う事になり、ENYAがMYに頼んで快く貸してくれた。
LISAもMYも日本で日本語を学んでいただけにかなりペラペラ。語学はやはりその場所に行かないと習得できないと言う事も理解できる。早速MYに[H]は何?と聞くと、「これはとても熱い!だから触らないで!という意味です。」「あっ、ごめん、It’s hot! Don’t touch!」とわざわざ英語で言い直してくれた。このあたりはENYAの計らいなのだろう。まだ半分起きていない脳にダイレクトにネイティブイングリッシュが刺さりしっかりと目が覚めたのは言うまでもない。赤藤は部屋にあった(ちょっとホコリっぽい?)サーキュレータを回して喉をやられていたのを最初乾燥のせいにしていた。
さて朝食。
海外は野菜や果物がとても安くとてもおいしい。国によって違うかも知れないが、欧州のほとんどの国は日本と違い軽減税率制だったように思う。日用品には税金がかからず嗜好品などにかかる。つまり贅沢税なわけだ。日本は全て一律で税金がかかっている為、極端な話小学生のおこずかいで買った物に対しても大人が支払う税率で税金を取るようなおかしな国だ。その点は最低限生きる為においしく安い食材が手に入る欧州は暮らしに対して非常に寛容な社会だと改めて感じる。パイナップル丸々一つ£1(180円)。じゃがいもは十数個で£1.5だったり。ロンドンは高いと思っていたけど単に住むだけならさほど高くないかもしれない。むしろ日本の方が暮らしにくい環境にあるかも知れない。
食事の中でだいたいその日行う事をミーティングしようと決めていた。搬入はとにかく時間をかけた方がいいし、何より怖いのはどのくらいトラブルが埋まっているかだと思う。またこのプロジェクトを進めてきた中で「展示は作品と同じくらい時間やアイデアを使え」といつもいい聞かせていて、国内ですでに三カ月ほどかけて1/10スケールでアイデアを考え1/1で実際の展示イメージを作らせていたので、かなり計算は綿密にできていて自信があった。
昨日の夜お風呂に入った人の何人かは実は冷たい水を浴びていた。よく風邪を引かなかったなとか思いつつ、地下室にあるボイラーの説明をENYAが聞いてくれていた。ある一定量貯まるタンクがついていてそこは常にある目標値に向けて温めている。その水が無くなると数時間お湯は使えないという環境に優しいボイラーだったが、どうしても使いたいときはBOOSTボタンと言うのがあり、そのボタンを押すと再沸騰を始めてくれる。海外の住宅設備は日本とは全然違う。いかに日本が世界で類を見ないほど先端の暮らしをしているかがよくわかった。話は変わるが海外の人の多くはウォシュレットを使うと感動するらしい。まず海外で見た事ないので海外の人は日本に来るまで見た事もないだろう。僕らは日本の暮らしに慣れすぎていて逆に不便を感じたりもするが、そこも切り抜けてこそ海外だと思う。与えられた物を当たり前と思わないようにしなければ日本でしか暮らせなくなる。郷に入れば郷に従え。まさにこのこと。
メンバーも着替えを終え、会場に向けて出発。今回このアパートを選んだのにはもう一つ理由がある。今回出展するTENTLONDONは結構東側にあり、中央ほど洗練されていない地域だ。インド系の住人が多く、スパイスの匂いが立ち込めるエリアを抜けて会場へ向かう。
そう徒歩で。
海外出展のもう一つの課題は日常の移動だ。ミラノの時は会場(ローフィエラミラノ:日本で言う幕張メッセだろうか)が郊外に在る為大きな駅のそばに住んでいる友人宅でとても助かったし、混む地下鉄に乗らず国鉄の方がいいよと教えてくれて非常に便利だった。そして今回はさらにその上を行く。街中の展示会場であれば徒歩圏内にアパートを借りれば、好きな時に物を取りに帰れるし、公共交通機関を利用する事なく安全圏を移動できる。日本は本当に安全な所だと思う。海外は色んな所にトラップがある。気が抜けないので移動方法を考え直した。フィエラが幕張メッセなら、今回の展示会場であるオールドトルーマンビール工場跡はさしずめ東京ビッグサイトではなく、自由学園明日館と言ったところ。そこに池袋から行くような物だ。…関西の人はピンと来ないか。フィエラがKIITOでオールドトルーマンブルワリーが名村造船所跡地で、そこに北加賀屋から行くような物か。まぁとにかく徒歩圏内で行けるというのは連日の「通勤」による消耗を最低限まで抑えられる。
程よいスパイスの香りを感じながら数分で最初の信号。ロンドンは交通事情は少し荒れている。とにかくスピードが速いし、コーナリングに遠慮のかけらも無い。それに加えロンドンの人達のほとんどは信号を見ずに渡れるなら渡ってしまう。関西人にも信号を守らない人が多いが、さすがにこれは無理だろう。ここには徐行と言う言葉は無いかもしれない。ましてや大きな荷物を台車で押しているロンドンビギナーな僕たちはきっちり信号を待つことに。眩しい日の光の下、目の前をダブルデッカーが走っていった。どこに行くんだろう。
路地に入り少し石畳に。プロトタイプを落とさないように割とゆっくり歩く。なんとアパートから左折と右折を二回づつで到着できた。アパート、良い場所じゃないか。感動しているうちに会場に到着。レンガ造りの屈強で巨大な建物。ビール工場跡でデザインの展示会なんてしゃれてるなぁと思っていた矢先、出入り口がわからない。ミラノもそうだったが搬入時は何のサインもないし、誰が入場セキュリティのチェックをしているかわからない。結局ENYAに聞いてきてもらうことに。写真はその時に撮った物。
セキュリティの場所がわかり一歩中に入る。建物の裏口からどうやら入るっぽい。裏手へ急ぐ。ジャケットの上から反射ベストを来たインテリな風貌の人がどうやらその人の様だ。話をして手に黄色の紙バンドを巻く。まさか最終日までこれじゃないだろうなとか思いつつ、荷物を上げる為にエレベータへ。会場は二階らしい。搬入の時はだいたいエレベータは混んでいるし、日本のエレベータとは全然違う。ドアの他に内側にフェンスのような物があってそれをしっかり閉めないと動いてくれない。屈強な作業員と共にあがる小さな東洋人たち(未成年含む)。
会場の内装はどこかオルタナティブな空気感があり、サテリテとは全然違う雰囲気だった。ロンドンぽいと言えばロンドンぽい。相当にかっこいい。ブース探すこと10分。TENTLONDONから出展の案内が来て歓喜に沸いてからかれこれ一年ほどだろうか。憧れたブースを目の前に僕は内心震えたが、みんなはどうだっただろうか。そのあたりの言葉は未だきちんと聞けずにいる気がする。
さて設営と思ったがまずは確認。少し壁面はラフな作りだった。少し押せばちょっと揺れる。うちには江川(Eva)のA1サイズの壁面鏡があると言うのに大丈夫だろうかと少し不安になった。壁面の状況は前から何度か聞いていたが6mmのMDFとだけ言われていた。中空なのか、それとも隣のブースまでも6mmしかないのか。それすらわからなかったが、実際来てみると6mmのMDF同士に中空の空間があった。おそらく下地の角材が入っているだろう。貼り合わせた面にギャップがあったりとこれもオルタナティブな空気感を醸し出している要素なのかも知れない。仕方ない現場力でどうにかしよう。
ブースチームと展示台チームの二手に分かれ、設営を開始し。綿密な図面を基にまずは寸法を拾っていくことに。全ての面の角にマスキングテープを貼り寸法を書き込む。図面上の位置関係を現場で確認→感覚で微調整と行きたかったが早速例のやつが来た。トラブルだ。なんとオフィシャルで伝えられていた壁面の高さよりも100mmも低いらしい。なんてこった。そんな事ってあるのかと思ってしまったが、これは試練だ。ただ綿密な計算は一気に崩れ去った。壁面に大判プリンターの内容を垂らして展示ボードとするアイデアがまず調整しなければならなくなった。そういえば神戸芸術工科大学が初めてサテリテ出した時もそんな事言ってたかなとか。海外展示会にはつきものかも知れませんね。
気を取り直して調整に入る。同時に小物を展示するmilcaの展示台を作り始める。僕らの展示ブースの設営は非常に作る場所が必要になった。正直向かいのブースのセットアップが終わっていたらもっと作業効率が悪かったかも知れない。こっそり向かいのブースでも作業させてもらっていたのだ。通路が狭すぎてそれどころではなかった為ですが害を及ぼしているわけではないのでここはアリという事に自己完結した。いえいえ…ごめんなさい。
日本から持ち込んだmilcaの展示台は日本で江川(Eva)がしっかりと設計を行いかなりの出来になっていた。ここに行きつく為に相当大変な思いをしただろう。これも作品の一つだと思えるほどに思い入れがあったよう。ただ電気がまだ来ていない為、ホットボンドは使えなかった。これもトラブルではあるが両面テープや養生テープなどトラブルを早急に対応できるものを用意していてよかったと思う。苦労しながらも三つが無事に組上がる。
ブースはさらに苦戦していた。急な寸法出しを再度やらなければならず、現場は混乱していたし、俯瞰してみていて非常に無駄な作業を多くやっている印象があった。挙句、カッティングシートの使い方を間違って用意されており、「マンガカ」と書かれた文字は全て一文字づつシール状で持ってきていた。確認が甘かった僕の責任だが、カッティングシートは通常プロッタで切ったあとに透明シールを上からはり、まず壁に貼って位置を確認ししっかり平行にしてから裏面の剥離紙をはがして透明に写し取り、それをしっかりと壁面に貼る。そうする事でデータ上設計していたカーニングやデザインが保たれる。しかし一文字づつでは困った。これではほぼレタリングではないか。脚立にまたがり多少イライラしつつも完成させる。
壁面には江川(Eva)のプレゼンボードがあり、その四コマ目に作品を引っかけるという作業を行っていたが位置が合わない。少し調整し、ようやくうまくいった矢先に江川本人からとんでもない発言が。「すみません、上下逆でした…。」耳を疑った。江川の作品は漫画のコマになっており、それをひっくり返せばそこだけ鏡になり使用者が投影されると言う物。つまりすでにシナリオは決まっている為上下逆ではだめなのだ。見ていられなくなりさっと調整。手を貸してしまう。
不慣れな学生に色々任せていて、しかもやはり現場で困惑気味の時に少しまた怒ってしまった。調整も大事だが時間も無い。一発である程度の水準を出せと。先日のブログでも書きましたがやはり叱るのは気分は良くない。だけどちゃんと無事に展示までたどり着けるかは多少僕にも責任が在る為、叱らざるを得なかった。むしろ檄だと思ってほしかったが多少口が悪かったようだ。その点は反省しようと思う。今後の自分の課題。
気が付けば三時を回っていた。まだまだ終わる気配もないがとりあえずENYAが一人連れてお昼を買いに行ってくれた。なかなかワイルドな味のハンバーガーだった。重めの味かつ、到着翌日の朝からの展示の作業によりみんな疲れていたのもわかった。半分くらいの人が持って帰る事に。ただまずある程度のレベルまで持っていきたいという気持ちがあった。まだ照明もオフィシャルのブースナンバーのカッティングシートも来ていないができる所までやって、明日の作業を減らしておきたい。
ブースがある程度組上がって多少目処がついた段階で右折と左折を二回づつやって帰宅。おそめの昼食だったためみんな夕食を食べずに風呂に入ったりして寝る。僕は一部のメンバーにパスタを作った。あと僕はその日イギリスに来て初めてのビールを飲む。詰めたいアルコールは疲れた体に染みた。効きすぎて就寝。
明日は完成するかな。するといいな。